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ベルSS

ベルサイユのばら 原作の隙間埋め妄想

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驟雨のあと(2)

やがて彼が運んできたのは、実にまっとうな味わいのものだった。お前は私のように無粋じゃない。様々なハーブとスパイスを調合し、熟成させた修道院生まれのリキュールは、暖かいミルクに酒精が和らげられ、滋味豊かな香りと蜂蜜の甘さと共に、胃の腑にするりと落ちて行く。

木桶に張られた湯に、アンリエッタがジュニパーベリーとサイプレスのオイルを数滴たらすと、森の香りが立ち上った。脹脛まで暖かい湯に浸しながら、もつれた髪を梳いてもらう。ばあやが倒れて以来、アンリエッタがすっかり私の身の回りの世話係となっていた。ばあやが母親代わりであったとすれば、10ばかり年上の彼女は、姉のような存在だった。思えば、決然と幼い私に本当の性別を教えてくれたのは、彼女だったのだ。

「御髪が伸びましたね。そろそろ少し毛先を整えた方がようございますわね。いつ梳かせていただいても、本当に見事な御髪・・・。」

梳いた髪を整えながら、鏡の中でアンリエッタがゆったりと頬笑みを浮かべている。夜更けの帰宅に関わらず、嫌な顔一つせず世話を焼いてくれる。優しい彼女の手に触れられる心地良さに、次第に緊張が解かれていく。

「ああ、長く伸びすぎたな・・・。うっとおしいから、短く切ってしまおうか。動くにじゃまだが、髪を結わくのも好きじゃない。」

「切るなんてとんでもない。ばあやさんが悲しみますわ。いいえ、ばあやさんだけでなく、私も、アンドレも。」

「ばあややアンリエッタはともかく、アンドレは私の髪がどうであろうと気にもすまい。いつだったかな・・・、私の髪の事をほったらかしで好き勝手な方向を向いていると奴は言ったではないか。」

「そんな事はございませんよ。アンドレは子供の頃から、オスカル様の御髪を本当に褒めてばかり。それに、『長い髪は女の誉れ』と言うではありませんか。せっかくの美しい御髪でございますもの、どうぞこのままに。」

「長い髪は女の誉れか・・・、私にその言葉が相応しいとはとても思えんが、アンリエッタがこの髪を美しいと言ってくれるなら、切らずにおこう。」

慈愛深い侍女は、さりげない言葉で女性としての私を勇気づけてくれる。ありのままの私でも、女性として認めてよいのだと。

湯に温められて軽くなった足を拭ってもらい、夜着に着替えながら私はふと自問する。

私は、何故髪を伸ばしてきたのだろう・・・?

髪を伸ばさねばならぬ理由は何1つなかった。気がつけば、いつしか髪は背を覆うほどに長くなっていたのだ。私は、女でありたかったのだろうか?アンリエッタとかわした言葉は、私に不思議な感慨を与えた。






ここはどこだろう。あたりに漂う噎せるような甘い花の香りは、地面から立ち上る微かな土の匂いを含んでいる。夏の陽を浴びた薔薇の葉陰の草いきれにも似た熱が、私を包んでいる。体はいつの間にか、力強い腕に抱き取られていた。

夏の草原を音も無く吹き分ける風のように、優しい指が私の髪を梳いている。疲れ切った私は、目を開ける事が出来ない。その指先は暖かく、地肌に触れられる度に少しずつ疲れが取り去られ、体が軽くなっていくように感じた。誰だろう・・・?私はこの指先を確かに知っている。だが、目をあけて確かめる事ができない。

やがて指先は髪を梳くに飽いたのか、そっと私の頬に降りてくる。軽く曲げられた指の背が、何度も私の頬を撫でていく。指は頬から顎をなぞり、そして、親指がゆっくりとくちびるを往復する。くすぐったくて思わずくちびるを開くと、指先が私の下唇を僅かにめくる。指先ではない、なにか暖かく柔らかなものが、ためらいがちに触れてくる。最初は羽のように軽く、二度目は問いかけるように、そして、三度目はすうようにしっとりと私のくちびるをおしつつんだ。熱く濡れた何かが、私のくちびるを割ってしのびこんでくる。迎え入れるべきなのか、拒絶すべきなのか、私の逡巡を見透かしたかのように、それはあっさりと離れて行った。

指先は耳の下のくぼみから頤をなぞって行く。思わず反らせた首を指先は優しく撫でおろし、暖かく湿った息を洩らすくちびるが押し当てられた。そうだ。これはくちびるだ。記憶の隅に無理矢理押し込めていたもの。あの時の驚きと戸惑いを今は不思議と感じない。むしろ心地よい。

これはゼフィロスの吐息だろうか。私の中にある種が膨らんで行くのを感じる。雨の滴と豊穣の風を受け、体の芯が脈打ち始め、萌え出た芽は、固い殻を突き破る。つま先から、指先から、芽は蔓となり、葉となって、ついには皮膚を突き破って伸びて行く。私の体はいつしかつる草と化し、傍らにある大樹の幹に絡みついていく。樹の幹は逞しく、私がどんなに葉を茂らそうとも、覆い尽くす事ができなかった。やがて私は覆い尽くす事をあきらめた。幹に絡みついたまま、陽の光を浴び、風に吹かれ、雨に濡れた。

時が過ぎ、蔓の先に何か葉ではないものが芽吹いた。それは少しずつ膨らんでいく。やがてそれは淡く色づき、ほころんでいく。

天から暖かな雨が降る。切れた雲間から差しこむ光が、雨粒に反射し、煙るように世界を覆い尽くしていく・・・・。



カーテンを引く気配がした。今日も空は曇っているようだ。瞼越しに感じる光が弱々しい。体はまだ休息を求めている。水を吸った綿のように重く動かない体とは裏腹に、脳は働きはじめ、昨夜の夢の意味を考えだす。夢は人の心を映す鏡と言う。それなら、私の心は何を求めているのだろう・・・。


「お目覚め下さいませ。もうお支度を始めていただきませんと、出仕のお時間が・・・」

起床を促され、顔にかかった髪も払わず起き上がる。寝台の縁に腰を下ろしたまま、しばし体が目覚めてくるのを待つ。

疲労が日々蓄積されていくのがわかる。できる事なら、すべてを投げ出して休みたいと思う。だが、一方で私が背負うべき責任を思うと、休むことなどできはしないのだ。兵士たちにも、兵士たちが養う家族にも、私には責任が有る。

ジャルジェ家に対する責任と、司令官としての責任と、どちらかを選ばねならない時がやがて来るだろう。四肢を馬につながれ、引き裂かれるような痛みが、心を苛む。

「お酒はいい加減およし下さいませ。ちゃんとお食事を召し上がらねばいけませんよ。コルセットの合わせがほら、こんなに緩んで。」

夜着を脱ぎ、薄いリネンの肌着をつける。背後からコルセットを当ててくれたアンリエッタが咎めるように言った。

「おお、怖い。アンリエッタはばあやの代わりを見事に果たしているね。心配はいらないよ。十分に食べているさ。私のコルセットは体の線を消す為のものだもの、元から緩いじゃないか。貴婦人たちは、コルセットで締めあげて細腰を競っているのだろう?私も女なのだから、もっと締めても良いのではないか?」

「細腰を競われたいなら、ローブをお召し下さいませ。今すぐお持ちして、コルセットを息がとまるほど強く締めあげて差しあげますわ。」

冗談めかした言葉に、おもわぬ反撃を喰らい、私は大人しく黙って着せかけられる服を身につけた。

「お疲れなのでございましょう?このところ咳が出ていらっしゃいますし、お顔の色もよろしくございません。ラソンヌ先生に一度診ていただいては・・・?」

髪を梳くアンリエッタに言われ気がついた。そういえば、ふとした時に乾いた咳がでている。

「いや、大したことはないだろう。じきになおるさ。ベネディクティンを一口もらおうか。
薬効が期待できるものだろう?」

私には、だるい体を目覚めさせる物が必要だった。

「駄目でございますよ。まずは朝食をきちんとお召し上がりにならなければ。食後に咳に効くお茶を入れて差し上げましょう。」

「では、せめてマルメロ酒を。」

食い下がる私に応えもせずに、アンリエッタは部屋をでて行った。



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