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ベルSS

ベルサイユのばら 原作の隙間埋め妄想

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驟雨のあと(7)

連隊本部に高位の者の姿はほとんどなかった。このところ上層部の意向にそぐわぬ態度ばかりをとっている私にとって、それはかえって都合がよかった。

バスケットに上物のワインとちょっとしたつまみの物を準備させ、司令本部きっての情報屋と噂されている男の元へ、アンドレを使いにだした。男は庶務の書記官で、これと言って目立った仕事をしている訳ではないが、司令本部の気になる動きをなぜだか良く知っている。近衛の頃からアンドレは、時々この男から情報をとっていたようだった。アンドレに言わせると、聞き上手な上になかなか機知に富んだ面白い男らしい。情報は時に生物のようだ。まるで意思を持つもののように、何もせずとも勝手に集まる事もあれば、必死に追いかけても徒労に終わる事もある。なんにせよ、状況を掴まぬ事には対応もできはしない。実務方からの情報集めはアンドレにまかせ、私は宮廷の動向や軍に出された指示を注意深く確認し、要人達の動きを探ることにした。

アンドレと私がそれぞれ集め、持ち寄った情報から分かった事、それは月曜日には我々が封鎖した議場の扉が開くことはない、という事だった。昨日の球戯場での出来事が、国王陛下に伝えられたのは狩りの最中だったという。日々の日課になさっていた狩りのさなかに伝えられたこの知らせが、国王陛下を大いに苛立たせた事は想像に難くなかった。マルリーにはパリ高等法院の使節団や教会権力を牛耳る者達が押し掛け、それぞれの思惑をあからさまに主張しあったようだ。結局マルリーでは事態打開の糸口を見つける事ができず、諮問会議はベルサイユに場所を移し、今日も行われている。

「アルトワ伯が、球戯場の講堂を一週間借り切ったそうだ。」

アンドレが言った一言は、私を酷く不快にさせた。明日の朝、議員たちは再び彼らを受け入れてくれる場所を探さねばならないのか。道に溢れ往くべき場所を探す議員の群こそが、今のこの国の姿を如実にしめしているように思えてならなかった。

予定されていた打ち合わせが無いならば、屋敷に戻り体を休めるべきだとアンドレは主張する。だが、私は屋敷に戻りたくなかった。屋敷に戻れば、幼なじみは軍服をお仕着せに着替え、忠実な使用人として忙しく立ち働くことになるだろう。つまりは、私は彼を傍に置く事が出来なくなるのだ。

「今日は安息日だ。ミサに与ることはできずとも、信徒としての務めを果たすべきではないか?サン・ルイ教会に寄って行く。」

キリスト者として当然の主張に、幼馴染とて反論できる訳はなかった。 先王によっていずれは大司教座となるべく建立されたサン・ルイ教会は、奇しくも現国王ルイ・オーギュスト様がこの世に生を受けたまさに翌日、献堂の儀式が国王臨席のもと執り行われた。ジャック・アルドゥアン・マンサール・ド・サゴーヌの手による美しい教会は、ベルサイユにおけるジャルジェ家の所属教会だった。

「王の菜園を抜けて行こう。近道だ。」

私の提案に、彼は小さく肩をすくめると黙って従った。朝から空に低くかかっていた雲が切れ、夏の空が薄い雲を透かせて見えている。菜園には人影はなく、馬の脚を止めて耳を澄ますと、吹きわたる風に作物達が葉を揺らす微かな音が聞こえた。

ルイ14世がジャン・バティスト・ド・ラ・カンティニに命じて作らせた菜園は、宮殿の南西に広がっている。そこでは宮殿の厨房で使われる様々な珍しい野菜や果実が生産されていた。パルマンティエ氏の普及活動によって、今ではじゃがいもも栽培されている。人の意図に従わされた緑ではなく、人と自然とが手を取り合って実りをもたらす緑がここにはあった。王の菜園では、三月に莓を、六月にメロンを収穫することができる。惜しみなくつぎ込まれた技術と人の手とが、それを可能にしたのだ。人の力が自然の力を引き出す様を目の当たりにし、人の英知と自然との調和こそが豊かな富をもたらすのだと深く得心する。

だが、今それが実現されているのは、塀に囲まれた僅かな空間の中だけだ。古い習慣に縛られ、新しい技術を学ぶ機会も与えられず、天候に命運を左右される農民たちの暮らしを、この国の為政者たちはなんら省みてこなかった。フランスは、このままではたちゆかなくなる・・・。人々を縛り続けてきたものを突き崩さなければ。

見渡した緑の向こうに、サン・ルイ教会の美しいドームが見えた。雲の間からまるでレースのリボンのように広がる光に、頂上の十字架が照らされて柔らかく光っている。

「フランスの大地が、この菜園の様に、人の知恵と自然の恵みによって、あまねく豊かな実りを結ぶ日がくるのだろうか・・・。」

溜め息まじりにつぶやいた私に、幼馴染は微笑を浮かべながら広がる畑の一角を指示した。

「あれが、答えだよ。諦めなければ、いつか願いは叶うんだ。」

濃い緑の畝に、小さな紫色の星々が揺れていた。家畜の餌と蔑まれていたじゃがいもが、今はこうして王の菜園で大切に育てられている。

「ムッシュ・パルマンティエは元気にしているかな。」

懐かしそうに、お前の隻眼が細められる。

「あの御仁の事だ、相変わらずだろうさ。」

「違いない!」

エネルギッシュな赤ら顔を思い浮かべて顔を見合わせれば、互いの頬に笑いが溢れ出る。

成すべき事、目指すべき場所、心の中に誰もが抱いている希望・・・。

「信徒としての務めを果たしたら、屋敷にまっすぐ戻ろう。たまには、お前も神がお定めになった「安息」を守るべきじゃないのかな?」

「ああ、そうだな。」

気遣いを含んだお前の言葉に、素直にうなずいている自分が少しこそばゆい。

菜園の門を出れば、道を隔てすぐにサン・ルイ教会の白い外壁が眼前に現れる。昼のミサと夕刻のミサのちょうど狭間の時間で、教会前の広場は閑散としていた。ドリス式とイオニア式の列柱と、金色の飾りが取り付けられた青い扉が配された白いファサードは、いつ見ても優美だと思う。マリー・レグザンスカ様に配慮されたのだろうか、塔の上の特徴的なドームは、どこか東欧の香りがする。

左手の扉から聖堂内に入ると、突然頭上からオルガンの音が降ってきた。最近年若い奏者に変わったばかりだと聞いていた。ミサの合間に練習をしているのだろう。ルイ・アレクサンドル・クリコが腕を振るったオルガンは、王室礼拝堂に据えられたものにも並ぶ素晴らしい音色だった。拝廊に置かれた貝殻を模した大理石の聖水盤に指を浸し、十字をきって身廊に進んだ。名器を知りつくした前任者の円熟した音色とは違う、固さを残しながらも瑞々しい音色が聖堂に響き渡る。

透明なガラス窓に光は弱められることなく聖堂内に導かれ、白く清浄な空間を作りだしていた。私はここで洗礼を授けられ、堅信礼を受けた。女児に男名を授け男として育てるという事は、神の教えに背くものとして退けられても当然だった。この教会がそれを許したのは、先王夫妻の篤い寵愛を受けた父将軍が、私を跡継ぎとして育てるという企て以外は、常に正しいキリスト者として行動していたからだろう。そして、教会に相当の寄進をした事も想像に難くなかった。今でも、父はこの教会に多額の寄進をし続けている。

聖王ルイの十字軍遠征に従い、その恩賞によってジャルジェ家はアラスの領地を封じられた。以来、諸国の抗争の地ともなってきたアラスの領地を、ジャルジェ家は代々守り続けてきた。繰り返し言い聞かされて来たのは、領主と領民の信頼関係の重要性だった。領民の生活を護ってこその領主であり、領民と領地の安寧を保障する力が有るからこそ、領内において権力を行使することができる。領民が租税や使役を受け入れるのは、領主がそれに見合う善政を行うからなのだと教えられた。高貴なる義務を背負う名誉と光栄を、ジャルジェ家は神から与えられたことを忘れてはならないとも・・・。

ジャルジェ家は軍を統べる帯剣貴族でありながら、父将軍はついに男子を得る事ができなかった。父も祖父も曾祖父も、唯一の男子としてジャルジェ家の血脈を守ってきた。肖像に描かれた先祖達は皆、私と同じ濃い青の瞳と見事な黄金色の髪をしている。私が生まれた時、余りに濃くジャルジェの血を受け継いでいる事を惜しみ、父が私を男子として育てることにしたのだと、伯母達が溜め息まじりに言うのを何度も聞いた。国王陛下の特別なはからいによって、私は女伯爵として父の領地を継ぐ事をゆるされていた。私自身が、当主として父の跡を継ぐ事になんら疑問は無かった。

姉達はみな15歳になるやならずで、両親が決めた男性の元へと嫁いでいった。それなのに、私自身はいつか誰かと結婚するのだと考えた事は、一度もなかった。フェルゼン伯に恋をしていた時でさえ、彼と結婚したいと願った事はなかった。例えこの体が女であったとしても、男として育ち、自らの意思と努力で軍人として今の地位を得たのだ。結婚によって、自分自身を規定しなおさねばならなくなる事を、私は恐れていた。自らを女とする事は、すなわち、幼いころから必死で築きあげて来た軍人としての人生を、全て失う事なのだ。

女に生まれたのでなければ、私は恐らく父と同じように、両親が選んだ女性を愛し、子を成したのだろう。近衛隊を率い、なんの疑問も持つ事無く王家を守り続けて・・・。女に生まれ、男として生きて来たがゆえに、私はそのどちらにもなりきれない。私は、私以外の何者にもなる事ができない。女でもなく、男でもない。そして、女でもあり、男でもある、この「私」という存在を、いったい誰が受け入れられるだろう・・・・。


後陣の高窓から、午後の柔らかな光が降り注いでいた。パリのカテドラルや、サントシャペルの煌めく宝石のようなステンドグラスはここにない。透明度の高いガラスは、太陽の光を遮る事も弱める事なく、そのままに堂内に導いていた。色の無い光の中にこそ、人々はあらゆる色を見出し、主の栄光を感じるだろう。

主祭壇には溢れんばかりの白百合が、薔薇色の大理石の花瓶に飾られていた。奥に安置された聖母子像が、静かに私たちを見下ろしている。アンドレは祭壇の前に膝を着き、低く祈祷の言葉を唱え始めた。私は彼の脇に並んで膝まづく。いつの間にかオルガンの音は止んでいた。淀みなく紡がれる祈りの言葉が、静かな聖堂に流れ、そして消えて行く。低く暖かな声音にじっと耳を傾けながら、私は頭を垂れて祈った。

突然鳴り響いたオルガンの音に、私は我に返った。地の底から湧き出るような低音と繊細な高音の旋律が、緻密に絡み合いながら、聖堂内を満たし、私の体を包んでいく。立ち上がった私は、軽いめまいに襲われた。目の前が白くかすみ、オルガンの音が耳の奥で揺らめき始める。歪む視界の中に、様々な人の姿が浮かんでは消えていく。問いかけるような眼差しが、私を見つめる・・・。

「オスカル!」

声を掛けられ、我に返った時には、オルガンの音は消えていた。

「どうした?ぼんやりして・・・。」

心配そうにのぞきこむお前の顔が、目の前にあった。

暖かな黒い瞳に私の顔が映っている・・・。ただそれだけの事なのに、胸の奥底に暖かい水があふれてくる。

「何でもない・・・。百合の香りに酔ったのかもしれない・・・。」

私はそう答えるのが精一杯だった。



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