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ベルSS

ベルサイユのばら 原作の隙間埋め妄想

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驟雨のあと(18)

窓の外に闇が訪れる。今晩は新月だ。空に月は昇らず、深い闇が世界を覆い尽くすだろう。ガラス窓に、青白く険しい表情の私が映っていた。ふと、自身の顔に、父の面影が重なる。

父は必ずこの部屋にやってくる。その時、私は父に言おう。私は、フランスを守りたい。国民を失った王国はありえない。私が忠誠を誓うのは、このフランスになのだと。
突然、酷い音を立てて扉が開け放たれた。反射的に立ちあがり、部屋の入口を見た。果たして、父だった。その顔は蝋のように白く、仮面をかぶったように表情がなかった。私は父が怒鳴りこんでくるとばかり思っていた。だが、父は無言のまま私に近づいてくる。その手に抜き身の剣を持っている事に気付いた時、私は父の逆鱗に触れた事を悟った。

「勲章と階級章を外し、そこへなおれ!!」

白刃が私の胸元へとまっすぐに向けられる。鬼気迫る父の言葉に、思わず身体は反応し、その場に直立した。父の鋭い眼光に、射竦められそうになるのを必死に堪え、頽れそうになる膝に力を入れた。

「国王陛下から正式な処分決定があるまで、外しません。」

私は、父の人形ではない。父の強固な後ろ盾と王妃様の寵愛があったしても、歯を食いしばり努力を重ね、掴み取ったこの地位だ。何より、私には果たすべき責任がある。今ここで、父に屈する訳にはいかない。私は射返すように、父の青い瞳をまっすぐに見据えた。

白蝋の仮面が見る間に解け落ち、皺を刻んだ顔が朱に染まる。

「処分など待つまでもない!!この謀反人が!!」

父の手に私の襟は掴み上げられ、息がかかるほどの距離に、父の顔が迫った。濃い青の瞳が私の顔を映し、確かに自分が父の子であることを証していた。

「いいか、聞け!例え全ての貴族が王室をみすてて平民に味方しようともこのジャルジェ家は・・・このジャルジェ家だけは最期まで陛下に忠誠を尽くし、王家をお守りするはずだったのだ!」

それは、何度となく聞いて来た言葉だった。父もまた、祖父から聞かされ続けたであろう言葉。善き領主としてアラスの領地を治め、王家へ絶対の忠誠を誓う事がジャルジェ家を継ぐ者に課せられた使命だと言うのなら、天候不順による凶作と古い制度と因習に苦しめられている領民達の為、国民の信頼を失おうとしている王家の為に、今、ジャルジェ家の嗣子として私が為すべき事とは何なのか?! 父自身、領民の生活に心を配って来たではないか。それが領主の務めと教えてくれたのも、また父ではなかったか!

「父上・・・、私に謀反の意思はありません。王が国民に銃を向けてはならないのです。フランスに必要なのは、抑圧ではなく、改革です。この国に生きる人々無くして、王家もまたありえません。」

不意に父の左手が襟から外された。素早く一歩退き、父の顔を見た。興奮に赤く染まっていた父の頬から、みるみる血の気が引いていく。再び父の顔から一切の感情が消えた。

「この家から裏切り者を出すわけにはいかん。父がこの手で成敗してやる。」

今まで聞いた事の無い父の声だった。魂が凍えるように冷たく、容赦の無い・・・。

成敗・・・?父が・・・、私を殺す・・・と・・・? 

私を膝に乗せ心躍る英雄譚を語ってくれた父が・・・?
幼い私を優しく抱きあげ、鞍の前に乗せて走らせてくれた父が・・・?
剣を合わせ、誰よりも強くあれと叱咤してくれた父が・・・?

法による裁きを否定し、王家への絶対の忠誠を示す為に、私をその手で殺すというのか・・・?
それが、父の信ずる道というのか・・・?
それほどまでに、ジャルジェの名を、あなたは惜しむというのか・・・。

剣を翳した父が一歩前に踏み出す。同時に、私は一歩退いた。

父の剣の腕は、誰よりも良く知っている。年老いたとは言え、剣を合わせればいまだに勝負は五分だろう。徒手の私に万にひとつの勝機がなくとも、今、私は生き事を諦める訳にはいかない。

私が死んだら、アラン達を誰が助ける?
私を慈しんでくれた母やばあやの嘆きは・・・?
例え信じる大義の為だったとしても、私を殺せば、父もまた一生苦しみ続けるだろう。

無駄なあがきであろうとも、最後まで諦めては駄目だ!
オスカル、考えろ!剣はどこに置いた?剣に代わるものは無いか?
わずかな隙を求めて父との間合いを取った。
しかし、じりじりと後ずさり、ついに、壁際へと追い詰められた。

もう、これまでなのか・・・?
第1班12名の命を助けることもままならず、父の刃にかかり、私は死んでゆくのか・・・?
私を愛し慈しんでくれた家族に、悲しみと苦しみとを残して・・・・?

やっと、気付いたお前への愛を告げることも、ついに叶わずに・・・、

アンドレ・・・・!!

父の剣がまさに私の胸を貫こうとした時だった。

父の身体が大きくねじれ、歪んだ唇から呻き声が漏れた。次の瞬間、父は引きずられるように、私からひき離されていた。黒く大きな影が、父の背後で剣を持つ右腕をねじり上げていた。

「離せ・・・、アンドレ」

唸るような父の声が、その影の正体を明かした。

「離しません!」

この声は誰のものだ・・・?地の底から響くような低い声は・・・?
この恐ろしい声が、お前の声だというのか・・・?!

互いの身体を抑え込もう、引き離そうと、二人は渾身の力を振り絞る。息詰まるような緊張がこの場を支配し、私は動くことも、声を上げる事もできなかった。

「もう一度言う・・・。離せと言っているのだ!」

父の声が低く震えていた。苛立ちか、それとも、怒りか・・・。それは、父の、主としての最後通牒だった。

「離しません!」

父の厳命を、お前は再び強く拒絶した。父を深く敬い、いつも忠実に従ってきたお前が、命令に従うどころか、父の腕を更にねじり上げる。父の皺を刻んだ額に、脂汗が滲みでた。

「では、お前も切る!!」

「結構!!」

父の宣戦布告を、お前は堂々と受けて立つ。次の瞬間、父の喉元に短剣が突きつけられた。お前の手にある短剣の、その特徴的な刃形、柄の細工に、我が目を疑った。祖父が父に与え、幾度となく戦場へ携えたという短剣だった。幼い日、その壮絶なまでの美しさに魅せられて、幾度も父にねだった。だが、ついに父は私に与えてくれなかった。その短剣を、父はお前に与えたと言うのか・・・?父とお前との間には、私の知らない絆があったというのか・・・?

細められたただ一つの黒い瞳は、冷酷な決意を宿していた。父の急所を狙う構えには、一分の隙もなかった。
穏やかで優しい幼馴染の、全く別の顔がそこにあった。男とは、こんなにも冷酷になれるものなのか・・・?

父の耳元で、お前が低く囁く。

「けれどその前に旦那様、あなたを刺し、オスカルを連れて逃げます・・・。」

まるで凍りついたように、二人は動きを止めた。静まりかえった部屋に、時計の鉦が鳴り渡る。まるで私に選択の時が来た事を告げるかのように。

お前は・・・、それほどまでに・・・、私を・・・・?!主殺しの大罪を犯すことも厭わないほどに・・・、私の命を惜しんでくれるのか?

ひたすら父の背を追い掛け、望まれる「息子」たらんとした日々があった。どんなに望んでも、どんなに願っても、私は「男」にはなれなかった。私が本当の男だったら、この世界は、全く別のものだったかもしれない。
家の名誉の為に、己の感情を封ずる事ができたのかもしれない。だが・・・、私にはそれができない。力弱き者達の声が、私の心を捉え揺さぶる。その声は、私自身のものでもあるのだから。

ああ!そうなのだ。お前こそ、私の導きの星!あの初夏の日から、私の傍にお前がいて、私が「私」である事を認めてくれた。私が、「私」である事を、望んでくれた。だから、今、私はここに生きている。父を、母を、全てを捨てる事になっても、お前がいてくれるなら、私は・・・。

《続く》

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驟雨のあと(17)

街道から屋敷に向かう道へと馬車はゆっくりと曲がって行く。

「旦那様のお戻りは・・・、遅くなるだろう・・・な・・・。」

ぼそりとつぶやかれた言葉に、虚を突かれた。思わず見合わせた顔に、私達は互いの恐れを見つける事になってしまった。私の命令拒否は、当然のことながら、父の耳に入っているに違いない。我が家にこそ、最大にして最強の難物が存在している。それに気付いた瞬間、背筋がぞっと凍りついた。

「アンドレ、先に言っておく。これは、私と父の問題だ。お前には関係がない。余計な真似を絶対にするなよ!」

「オスカル、俺は・・・」

馬車が止まり、私は最後までアンドレの言葉を聞かず、先に下りてしまった。いつものように出迎えに出た者達は、私の常ならぬ雰囲気に訝しげな眼差しを向けた。これから起こるだろう嵐について、理解し対応できる者は誰だろう。私は素早く出迎えの者達を見渡した。

「アンリエッタ、今晩は私の部屋に誰も近づけないでくれ。よいね。」

私のよき理解者であり、母の信頼も厚いアンリエッタこそが適任に違いない。どうせアンドレも彼女にだけは本当の事を話すに決まっている。

足早に階段をのぼる私の後ろを、アンドレが追ってくる。自室の扉を開くと、みなれた調度の影が夕暮れの淡い光に浮かんでいた。自室に戻った安堵からか、急に身体から力が抜け、倒れこむように椅子に座った。思わず知らず、深い溜め息が漏れてしまう。

アンドレは、ランプに火をいれテーブルの上に置いた。何を言うわけでもなく、彼はただそこにいる。幼い時からそうだった。私の惑いを察すると、黙って傍にいてくれる。だから私は分らなかった。いつも1人で解決した気になっていた。でも、そうじゃない。振り返れば、必ずそこにお前がいてくれる、その安心感に甘えきり、支えられている事に気がつかなかった。愚か者なのだ、私は。

軍法会議を恐ろしいとは思わない。だが・・・、父と相対する事は、とてつもなく恐ろしい。物心つかぬ頃から、父の背中を追ってきた。いつか父のように立派な将軍になるのだと、夢見て来た。厳しい父に反発を感じたこともある。だが、父に満足してもらえる息子でありたいと、ずっと願ってきた。

結局、私は・・・、息子にはなれない・・・。

私はジャルジェ家の為に、自分の心を偽ることはできない。遠い父祖から守り継がれてきた名誉より、私自身の思いに正直でありたいと願ってしまう。振り子のように、心は二つの極を揺れ動く。このまま、お前を傍に置けば、手を伸ばしその胸にすがりたくなってしまう。いつでも、私をありのまま受け止めてくれたのはお前だから。

だからこそ、お前を私と父との葛藤に巻き込みたくない。

「謹慎を命じられたのは私だけだ。お前まで付き合う必要はない。部屋で少し休め。」

顔を上げ、見上げれば気遣わしげな黒い瞳がそこにあった。駄目だ!一刻も早く彼を遠ざけなければ、心が折れてしまう・・・。

「もう下がっていい!私は一人になりたいのだ。」

苛立ちのままに声を荒げ、お前の優しい瞳を冷たく睨みつけた。お願いだ、私の心に気付かないでくれ・・・。

「分かったよ。お前も少し休め。今更じたばたしたって仕方ないさ。覚悟の上だったんだろ?何かあれば、すぐに来るから。」

お前は静かな声でそう言うと、部屋を出て行った。扉が閉まる音がしたとたん、私は背もたれに身体を投げ出し、大きく息を吐いた。



アベイ牢獄(Abbaye=修道院)はその名の通り、パリでも最も歴史あるサン・ジェルマン・デ・プレ修道院の一角にあった。160年ほど前に軍の牢獄として建てられた正方形の建物の四つ角には、それぞれ望楼がもうけられていた。牢獄が建てられる前は、そこにさらし台があったという。まさか、ブイエ将軍は彼らを晒し者にしようというつもりはないだろう。さらし刑は、晒された者が人々の平穏な暮らしを脅かすならず者であれば、人々は躊躇わず罵詈雑言を浴びせ、石を投げつける残酷な刑ともなるが、権力の横暴に反旗を翻した者は、人々の同情を集め、権力への反感を増幅させるものともなった。いかに旧体制にどっぷりつかった将軍でも、彼らを晒そうものなら、どんな結果になるかはわかるだろう。

ブイエ将軍が彼らを正式な軍法会議にかけるつもりがないことは端からわかっている。これまでも彼らはブイエ将軍に対し、従順であったことはなかっただろう。上官に従わぬ者にいかなる処分がくだされるかを見せつけるのに、彼らの処刑が最適の手段だと将軍は考えたに違いない。

ほかの班員はとにかく、不服従が軍規違反であることを、アランは知っている。サボタージュではなく、明らかなる命令拒否。相応の処分が下される事を覚悟しての行動だろう。法に依らぬ感情的な処分だけはやめさせなければならない。彼らは人として法で裁かれる権利がある。

私刑にも等しい処分など、許してはならない。だが、どうしたらブイエ将軍を説得し、捕らえられた彼らを救う事ができるだろう。軍務証書が取り上げられてしまっている今、私は軍務に就く事ができない。しかし、軍法会議が開かれるまでは、まだ動く事ができる。それまでの間に、軍の有力者でなおかつ現状を冷静に見ている人物に、民衆に近い兵士達を私刑に近い形で処分する事がどれだけ危険か説明し、ブイエ将軍に圧力をかけてもらう事ができないだろうか・・・。目ぼしい人物の相関関係を頭の中に描き、どの人物から説得をすれば一番効果的かを考える。直接談判が可能な人物は誰か、適切な仲介者を通じ接触するべき人物は誰か・・・。こんな時、お前と相談できたら、どれほど心強いだろう。宮廷内の人間関係の把握は、お前の得意分野だ。だが、何時父が戻ってくるかわからない今、出来るだけこの部屋からお前を遠ざけておかなければならない。

私の命令拒否を、父はどこで、誰から聞いたのだろうか。ジェローデルからか、はたまた、ブイエ将軍からか・・・。王家に深く忠誠を誓う父にとって、私の行動はジェルジェ家の名誉を汚し、父の立場を危うくする手ひどい裏切りに違いない。だが、果たして、ただ従うだけが忠誠だろうか・・・。私は王家を裏切ってなどいない。ただ、気付いていただきたいのだ。今なら、まだ間に合うかもしれない。国王陛下が、王妃様が、人々の声に耳を傾けて、その苦しみに寄り添って下されば、このフランスは王家の白百合の旗を先頭に、改革への道を進めるかもしれない。

部屋に閉じこもったまま、晩餐に下りて行かない私の為に、侍女が部屋まで食事を届けに来た。トレ―の上には、ヴァンと私の好みの物が盛りあわされた皿が乗っていた。昼食を食べていないが、食欲はまるでなかった。ただ、酷く喉が渇いていた。ヴァンで喉を潤し、チーズと果実のコンポートを無理やり口に押し込こんだ。味などまるでわからない。機械的に咀嚼し、ヴァンで飲下す。何度かそれを繰り返すのが精一杯だった。


《続く》

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驟雨のあと(16)

従卒が運んできたカフェを、まるで招かれた客のように、ゆったりと口にはこぶ。副官が慌ただしくブイエ将軍に使いを出し、私を監視する為の兵を呼ぶのを、まるで芝居をみるかのように平然と眺めている自分がいた。先ほどまでの緊張が、不思議なほど緩んでいた。これが開き直りというものか。

私の身分と階級であれば、さすがに軍法会議に依らぬ処分はありえない。申し開きの場が与えられれば、権力が自国民に対し武力を振るう事の愚かしさを、述べることもできよう。軍隊の規律の中で、不服従は厳しく処罰されるものだと、私は知っている。しかし、軍隊とはなんの為に存在するのか・・・、力によって守られるべきものとはなんなのか、問わずにはいられない。この国の大地を耕し、技術を駆使し、働いて、働いて、この国を支えて来た人々のささやかな望みを押さえつける為に武力があるならば、それは、ただの暴力に過ぎなくなってしまう。大義も正義も存在しない。ただの恐ろしい力となり果てる。

平民出身の衛兵隊士達が、同胞に対する卑劣な暴力の実行者となる事を拒んだのは、人として当たり前の事だろう。王権が神によって授けられているのであれば、為政者たる王は、限りない神の慈愛をもって民草の幸福の為に政を行わねばならない。だか、現実はどうだ・・・・。

第一班12名の命を救いたい。私の処分で彼らの助命が叶うならば、喜んでこの命を差し出そう。助命が叶わぬならば、彼らと共に処刑の列に加わろう。彼らを見捨てることなどできはしない。


監視の兵達は、私に話しかけるでもなく、さりとて、無視するでもなく、複雑な表情を浮かべたまま、私が座るソファの傍らに立っていた。執務机に座る副官も、落ち付かない様子で書類を繰っている。無為の時間に焦りは募るが、今はただここで待つより他なかった。


どれほどの時間が経っただろう。せわしなく扉が叩かれ、ブイエ将軍からの伝令がやってきた。

「ジャルジェ准将、ブイエ将軍閣下より、処分保留につきひとまず釈放、速やかに自宅に戻り、謹慎するようにとのとの命でございます。」

私の監視に倦んだ副官は、安堵の表情を浮かべ、従卒に私の剣を持ってくるように言いつけた。今までブイエ将軍とは散々衝突してきた。当然彼は私の処分を強硬に主張するだろう。だが、私の立場は昔から複雑だ。家柄、地位、父の威光、王妃様の寵愛・・・。自分の望みとは別のところで、私を巡って様々な思惑が取りざたされ、その狭間に私は存在している。

「あくまで『処分保留』です。くれぐれも、まっすぐに自邸へお戻りください。いつ出頭命令が出るかわかりません。」

副官から剣を受け取り、腰に佩いた。

「ご心配いただき、痛みいります。」

慇懃に言葉を交し、司令官室を辞した。

すでに終業の時間を回っているのだろう。廊下の人影はまばらだった。王宮の様子を見に行ったアンドレは戻って来ているだろうか。一刻も早く情報が知りたかった。思わず足取りが早くなる。扉を開くと、夏の夕刻独特の金粉をうっすら刷いたかのような斜光が、指令本部の中庭を照らしていた。玄関の階段を走り下り、アンドレの姿を探した。

「アンドレ!」

彼の名を呼ぶと、馬繋の陰から、すぐに応えがあった。逆光に縁取られた彼のシルエットを見たとたん、私の心臓は大きく脈打った。光のまぶしさに軽いめまいを感じ、私は思わず額に手を翳した。

「オスカル!大丈夫か?!」

腕を取られ、はっと気付くとお前が心配そうに私の顔を見ていた。

「屋敷に戻っても良いのだよな?」

「ああ、処分保留で釈放された。正式に沙汰があるまで、謹慎せよとのことだ。」

「そうか。まずは良かった。」

彼の細められた目元や、やわらかく引きあげられた口元に、斜めに差す光が深い陰影を与えていた。その微笑みの美しさに、私は目を奪われ、言葉を失った。胸の奥が訳もなく熱くなる。

「疲れたろう?帰ろう。」

かけられた言葉に、ただうなづく事しかできなかった。


「王宮は大混乱だった。」

馬車が走り出すやいなや、促す間もなくアンドレが言った。彼の報告は、余りに衝撃的なものだった。

ネッケル氏が御前会議に姿を現すことはついに無く、国民議会を解散し、元の身分ごとの討議を行うようにという国王陛下の命令に、第三身分の議員が反発、国民議会に賛同する第一、第ニ身分の一部議員と共に、議場を占拠したというニュースはすぐに町中に広まった。人々は、国王がネッケルを更迭し、第三身分の要求を黙殺仕様としていると理解した。人々は隊列を組んで、宮殿に押しかけたのだという。私がみた光景は正にこの人々であったのだった。

「ムニュ・プレジール館に近衛兵を派遣した為に、宮殿の守備が手薄になっていた。宮殿に押しかけた人々は、中庭にはいりこみ、ついには、国王ご一家のアパルトマンのすぐ近くにまで迫ったんだ。国王陛下がネッケル氏を更迭したというのは人々の誤解で、実際はネッケル氏が辞職を願い出ていたそうだ。ムニュ・プレジール館から近衛兵達が戻って来なかったら、どうなっていたかわからない。とにかく近衛兵達が戻り、少し秩序が戻ったのだけれど、とにかく宮殿に溢れる人々に国王陛下の取り巻き達も、圧倒されていたんだ。」

「なんという事だ・・・・。」

国王陛下と国民を結ぶ糸は、今や引きちぎられる寸前だという事なのか・・・。

「王妃様がネッケル氏に使いをだして、宮殿に彼を呼びだし、辞職を思いとどまらせたそうだ。ネッケル氏が両陛下との謁見を終えて出て来た時、宮殿の庭に詰めかけていた人々が、まるで凱旋した英雄のように歓声をあげて迎えていたよ。」

「王妃様はネッケル氏を快く思っていなかったはずだ・・・。」

「ああ、だが、妥協するしかなかったんだろう。正直俺も信じられなかった・・・。だがな、これが現実なんだと思う。俺はこの目で見たんだ。数えきれない人々が通りを埋め、宮殿から自邸までの道をネッケル氏は人々の熱狂と歓呼に包まれて戻ったんだよ・・・。」

「王妃様は、賢明なご判断をなさったということか・・・。」

事態は自分が予想しているよりも、もっと早いスピードで変化しているのかもしれない。人々は日々新しい自分達の力を見つけつつある。

「アラン達について、何か聞いているか・・・・?」

「お前の指示通り、すぐ衛兵隊舎に戻って、ダグー大佐にムニュ・プレジール館の警護に人を出してもらった。
アラン達は、指令本部から直接アベイ牢獄に連行されたそうだ。」

冷たい石の獄舎で不安に身を固くしている彼らの姿が目に浮かぶ。

「そうか・・・。誰か人を介して、彼らに差しいれをしてやらねば・・・。」

「明日朝一番で手配しよう。」

「ああ・・、頼む・・・。」

互いに馬車の中で腕を組んだまま、黙りこむ。西の空に太陽が傾いていく。長い夏の一日はまだ暮れずにいた。

《続く》

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驟雨のあと(15)

雲間から落ちる光が、ムニュ・プレジール館の中庭の濡れた石畳を照らしていた。剣を鞘に納め、私は天を仰いだ。生きている。命を盾にした賭けに、私は勝ったのだ。目を開けると、淡い金色に光る石畳の上を、青い制服の兵士がまっすぐに駆け寄ってくるのが見えた。艶やかな黒髪をなびかせて、近づいてくるその姿に、私の目は釘付けになる。

「まったく!お前ときたら、無茶をする!俺の寿命が5年は縮んだぞ!」

息を切らしたお前が、私を見上げた。その黒い瞳の奥にあるのは、限りない慈愛。

「私は、勝算の無い賭けはしない主義だ。この通り、この場は無事おさまったではないか。」

馬から下りて、借りた剣を胸に押し付けるように渡した。

「そうだろうけど・・・、お前に、もしもの事があったら・・・、俺は・・・。」

仕方ない奴だとでも言いたげな顔で、両手で剣を受け取り、お前は腰に佩いた。

いつもそうだ。私は素直になれない。生きながらえて、彼の姿を、またこの目で見る事ができた。その安堵と喜びに、こんなに胸が締め付けられているのに、それなのに、口をついて出るのは、強がりばかり。お前がいなければ、私はこの場に来る事ができなかった。声なき叫びを聞きとって、お前は私の望む道を切り開く先駆けとなってくれる。そして、がむしゃらに突き進む私を、心の底から気遣ってくれる。

「ジャルジェ准将!」

背後から、突然声がかけられた。振り向くと、国民議会に合流していた貴族議員達が、信じられないと言わんばかりの顔で、私を見つめていた。

「王妃付近衛連隊長であったあなたが、国民議会を支持なさっているとは、思いもよりませんでした。」

わずか19歳にして、私財を投じてアメリカ独立戦争に参加し、大きな功績を上げたラ・ファイエット侯爵が、大きく腕を広げて私に近づいてきた。

「さあ、あなたの英雄的行為をみなさんに伝えましょう。議員達もきっとあなたを歓迎するでしょう!」

いつの間にか、ムニュ・プレジールの中庭には、多くの人々が集まって来ていた。近衛兵が退却し、衛兵隊士も警護の任を解かれている。正門で人々が中庭に入ってくるのを制止するものは誰もいないに違いない。集まった人々の目が、私とラ・ファイエット侯に注がれていた。近衛兵を退却させたものは誰なのかと、人々が口々に問う。ここで私の名が出ることはどうしても避けたかった。私は一刻も早くこの場を離れ、指令本部へ戻らねばならなかった。

その時、人々のなかから、声が上がった。

「ラファイエット侯だ!アメリカ独立の英雄が、議員達を護ったんだ!!」

その声の主が誰なのか、私にはすぐに分かった。その声に応えるように、ラファイエット侯を讃える声があちこちで上がった。ラファイエット侯の瞳が、その声に明るく輝いたのを私は見逃さなかった。深い面識があった訳では無かったが、その自信にあふれた態度や言葉の中に、私は直感的に相容れないものを感じていた。

「ラファイエット侯、私は近衛隊を退いたとは言え、王家をお守りする立場の者。自国民に対し武力行使を行うなどという愚行が行われる事を、その立場から止めたにすぎない。私はすぐに指令本部に戻り、警備の手配をしよう。あなた方は剣をとり、議員達を護ろうとなさった。それだけが、事実です。」

前に出るようにとラファイエット侯に促し、私は彼に敬礼した。人々は熱狂し、口々に彼の名を呼んだ。
もはや私の存在に注目するものはいなかった。すかさず私は馬を牽き、正門へと向かった。

「オスカル、急ごう。追手が来る前に指令本部に戻るつもりだろう?」

人々の間からすり抜けて来たアンドレが合流する。

「ああ、いいタイミングで声をかけてくれたな、助かった。アンドレ、まずは、ダグー大佐にムニュ・プレジール館に警護の者を出す様に手配してくれ。その後、王宮の様子を見てきてくれ。人の流れがおかしいかった。私は1人で本部に戻る。」

ムニュ・プレジール館に向かう間に見た異様な光景が脳裡に蘇り、言い知れぬ不安が胸に痞えていた。

「1人で大丈夫なのか?」

早足になる私の後ろから、お前の心配そうな声がかけられる。捕らえられたアラン達に残された時間が、どれだけあるのかわからない。一刻も早く指令本部に戻らねばならなかった。捕らえられるのと自ら戻るのは全く違う意味を持つ。ただ、今、何が起きているのか知りたかった。その為には、アンドレに動いてもらうしかないのだ。

「心配するな。今すぐに軍法会議が開かれるわけじゃない。バスティーユ送りになったら、差し入れを頼むぞ。」

否応無しに高まる緊張を、幼馴染への軽口で必死に逃がす。

「ああ、最上級のワインを差し入れてやる。安心しろ。」

私の不安をぬぐい去るように、お前は私の苦し紛れの軽口を受け止め、そして軽やかに投げ返す。

「よし、何か情報がつかめたら、指令本部に来て待機していてくれ。」

正門のところで、それぞれに、馬に飛び乗り走りだした。これから先、なにが起こるのか全くわからない。アラン達の事、私自身の処分・・・。立ち止まれば、そこで立ちすくんでしまうだろう。前に進む以外無い。それだけが、はっきりと分かっていた。

ぴりぴりと張りつめた空気が、司令本部に充満していた。無理もない。将官と兵士の不服従という、あってはならない事が起きたのだから。しかし、それだけだろうか?王宮前に集まっていた人々はいったいどこに向ったのか。自ら王宮に駆けつけ確かめたい衝動にかられる。しかし、アンドレがもたらすだろう情報を、私は待つべきなのだ。果たすべき責任を見失ってはならないと、私は自身に強く言い聞かせた。


司令官室へと続く廊下ですれ違う者は、みなまるで幽霊でもみたかのように立ち止まり、顔を強ばらせた。私は「謀反人」であり、指令官室から逃亡したはずの者なのだ。逃亡者が自ら戻るなどあり得ない。だからこそ、私は拘束の手が及ぶ前に、ここに戻らねばならなかった。私の行動が「謀反」などではない事を示す為に。

国王陛下がこの国を統べる者ならば、王国にすむ国民をこそ守らねばならない。それは権力を持つ者の義務なのだ。義務を果たさぬ権力に、服する者はいない。権力の源となるものが変わろうとしていることを、人々は気づき始めている。今はまだ王家と人々をつなぐ信頼の糸は、かろうじてつながっている。だが、限界が近づいている事も確かなのだ。私はルイ・オーキュスト様とマリー・アントワネット様を信じたい。この糸を断ち切ることなく、再び強く結び直す努力をなさろうとして下さる事を、信じたいのだ。

ブイエ将軍は執務室にいなかった。留守を預かる副官の驚く様は、なかなかの見物だった。それはそうだろう、つい先ほど大立ち回りを演じて脱走した者が、たった一人で何事も無かったかのように、戻って来たのだから。

「ブイエ将軍はご不在か?先ほどは大層失礼をいたしました。どうしても行かねばならぬ用があったのですよ。なに、用は済ませて参りましたから、ブイエ将軍からの連絡をここで待たせていただきましょう。」

私は平然と従卒に飲み物を持ってくるように言いつけ、ソファに腰を下ろした。

《続く》

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驟雨のあと(14)

馬を疾駆させながら考える。近衛の指揮官は誰だ?誰であれ、父の傘下の者に違いはない。間に合いさえすれば、私の存在そのものを盾にできる。姑息な手段とさげすまれようと、時間を稼げれば無益な突入を回避するチャンスがつかめる。フランスが、今改革を必要としているのは紛れもない事実。人々はまだぎりぎりのところで、国王陛下を信じている。国王陛下がその信頼を裏切る事があってはならない。人々の心が王家から離れてしまう事を、私は望んではいない。しかし同時に、フランスに生まれた人々が、この世界に絶望し、生きることを呪うような社会であって欲しくないのだ。その為に、今私が成すべき事があると言うなら・・・!

それは異様な光景だった。ムニュ・プレジール館の方角から、人々の流れが王宮に向かっていた。金色に塗られた門の前に、沢山の人々が集まっていた。非日常的な人々の行動が、私の心を逸らせた。王宮へ向かって進む人の流れに逆らうように、今を走らせ続けた。

ムニュ・プレジール館の周囲を見なれた制服を着た近衛隊士達が囲んでいる。衛兵隊の隊士たちは、第三身分の議員達に同調すると、退けられたのだろうか・・・。

「けがをしたくなければ、道を開けよ!」

あらん限りの声を張り上げ、近衛隊士達が護る正門を走り抜けた。中庭は、近衛兵達に占拠されていた。整列する近衛隊士たちの前方に、騎馬の将校達の姿が見えた。まだ、近衛兵達は議場に突入していない。間に合った!慌てて飛び退く者達の脇を駆け抜け、将校達の前に躍り出た。

「引け!引けーい!これから先は一歩も通さん!」

まだ、足を踏みならす馬を御し、ひときわ美々しい軍服を着た将官の前に正対した。

これは、運命の女神の悪戯か、それとも、気まぐれな女神の恵みなのか・・・?突然割って入った私を、金緑色の瞳が驚いたように見つめていた。指揮官は、ジェローデルだった。王家の守護者として誰よりも相応しい怜悧で優雅なその男は、王命を受け今まさに、その力を振るおうとしていた。

かつて自身の副官であり、私を女性として愛すると言った男の心臓に、手にした白刃を真っ直ぐに向けた。
騎馬の将校も、隊列を組む隊士達も、良く見知った者ばかりだった。わずか2年足らず前、彼らこそが私の部下だった。私が護るべきは、王家であり、私が生まれ育った貴族社会だった。優雅で美しい豊かな生活を、一体誰が支えて来たのか・・・。私は知ってしまった。フランスの大地に同じ人間として生まれながら、困窮と絶望の日々をおくる者達がいることを・・・、私自身が彼らの血と涙で生かされていたことを・・・!!

空からこぼれ落ちた一筋の光が、アンドレの剣に宿った。初めて剣をこの手に握った時に感じた熱い思いが、胸を満たしていく。きっと、アンドレは私の選択を見ていてくれる。私が護りたいもの・・・それは・・・!覚悟は決まった。

ジェローデル、私の剣を受ける勇気があるか!?近衛隊の諸君、私の胸を砲弾で貫く勇気があるか!?
さあ、撃て!!武器も持たぬ平民議員に手を出すと言うのなら私の屍を越えて行け!!私の血で紅に染まって行け!!撃て!!」

この身を盾にすることで、議員達を護れるのであれば、撃たれようと蹴散らされようと、悔いはない。だが、これは無謀な賭けではないはずだ。数百人の赤い血を流す事より、私1人の「青い血」を流す事を彼らは躊躇うだろう。同属殺しの罪を、誰がすすんで犯したいだろう。胸の中に冷たい風が吹きすさぶ。私の血は赤い。私は知っている、この身体を巡り、流れ出る血は赤い・・・。

「マドモアゼル・・・!」

静かな声が呼び掛ける。

舞踏会の、あの夜のように、金緑色の瞳が、私に問いかける。
なぜ、悲劇のただ中へ、まっしぐらに向かっていくのかと・・・。

ジェローデル、お前にはわかるまい。私は誰でもない自身を生きたいのだ。その為に、護りたいものがある。

金緑色の瞳が静かに伏せられた。

「マドモワゼル・・・、剣をお納めください。元近衛連隊長であられた貴女をどうして撃つ事ができるでしょうか。貴女の前でどうして武器も持たぬ者に、武力を加える卑怯者になれるでしょうか。彼らが武器を取る日まで・・・その日まで待ちましょう。」

それは、どこまでも己の青い血を信じ、全てにおいて誇り高き騎士である事を体現しようとする者の言葉だった。彼の姿は、かつての私であるのかもしれない。「戦う者」であるがゆえに、「耕す者」を支配することを正当とする傲慢に気付かない。多くの人々の、人としての最低の誇りを無視する事によって支えられている、「貴族」という存在の危うさにも・・・。

「退却!!」

静まりかえった中庭に、決然とした号令が響いた。馬上で優雅に礼をとり、ジェローデルは去っていった。
私達の道は分かたれ、この先決して交わる事は無いだろう。10年にも渡る長い間、部下として私を支えてくれた彼の誠実を、私は忘れない。そして、今、ジェローデルがその誇りゆえに、私を生かしてくれた事を感謝しよう。だからこそ、自身が選んだ道を、私は貫かねばならない。何があっても。



《続く》

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