従卒が運んできたカフェを、まるで招かれた客のように、ゆったりと口にはこぶ。副官が慌ただしくブイエ将軍に使いを出し、私を監視する為の兵を呼ぶのを、まるで芝居をみるかのように平然と眺めている自分がいた。先ほどまでの緊張が、不思議なほど緩んでいた。これが開き直りというものか。
私の身分と階級であれば、さすがに軍法会議に依らぬ処分はありえない。申し開きの場が与えられれば、権力が自国民に対し武力を振るう事の愚かしさを、述べることもできよう。軍隊の規律の中で、不服従は厳しく処罰されるものだと、私は知っている。しかし、軍隊とはなんの為に存在するのか・・・、力によって守られるべきものとはなんなのか、問わずにはいられない。この国の大地を耕し、技術を駆使し、働いて、働いて、この国を支えて来た人々のささやかな望みを押さえつける為に武力があるならば、それは、ただの暴力に過ぎなくなってしまう。大義も正義も存在しない。ただの恐ろしい力となり果てる。
平民出身の衛兵隊士達が、同胞に対する卑劣な暴力の実行者となる事を拒んだのは、人として当たり前の事だろう。王権が神によって授けられているのであれば、為政者たる王は、限りない神の慈愛をもって民草の幸福の為に政を行わねばならない。だか、現実はどうだ・・・・。
第一班12名の命を救いたい。私の処分で彼らの助命が叶うならば、喜んでこの命を差し出そう。助命が叶わぬならば、彼らと共に処刑の列に加わろう。彼らを見捨てることなどできはしない。
監視の兵達は、私に話しかけるでもなく、さりとて、無視するでもなく、複雑な表情を浮かべたまま、私が座るソファの傍らに立っていた。執務机に座る副官も、落ち付かない様子で書類を繰っている。無為の時間に焦りは募るが、今はただここで待つより他なかった。
どれほどの時間が経っただろう。せわしなく扉が叩かれ、ブイエ将軍からの伝令がやってきた。
「ジャルジェ准将、ブイエ将軍閣下より、処分保留につきひとまず釈放、速やかに自宅に戻り、謹慎するようにとのとの命でございます。」
私の監視に倦んだ副官は、安堵の表情を浮かべ、従卒に私の剣を持ってくるように言いつけた。今までブイエ将軍とは散々衝突してきた。当然彼は私の処分を強硬に主張するだろう。だが、私の立場は昔から複雑だ。家柄、地位、父の威光、王妃様の寵愛・・・。自分の望みとは別のところで、私を巡って様々な思惑が取りざたされ、その狭間に私は存在している。
「あくまで『処分保留』です。くれぐれも、まっすぐに自邸へお戻りください。いつ出頭命令が出るかわかりません。」
副官から剣を受け取り、腰に佩いた。
「ご心配いただき、痛みいります。」
慇懃に言葉を交し、司令官室を辞した。
すでに終業の時間を回っているのだろう。廊下の人影はまばらだった。王宮の様子を見に行ったアンドレは戻って来ているだろうか。一刻も早く情報が知りたかった。思わず足取りが早くなる。扉を開くと、夏の夕刻独特の金粉をうっすら刷いたかのような斜光が、指令本部の中庭を照らしていた。玄関の階段を走り下り、アンドレの姿を探した。
「アンドレ!」
彼の名を呼ぶと、馬繋の陰から、すぐに応えがあった。逆光に縁取られた彼のシルエットを見たとたん、私の心臓は大きく脈打った。光のまぶしさに軽いめまいを感じ、私は思わず額に手を翳した。
「オスカル!大丈夫か?!」
腕を取られ、はっと気付くとお前が心配そうに私の顔を見ていた。
「屋敷に戻っても良いのだよな?」
「ああ、処分保留で釈放された。正式に沙汰があるまで、謹慎せよとのことだ。」
「そうか。まずは良かった。」
彼の細められた目元や、やわらかく引きあげられた口元に、斜めに差す光が深い陰影を与えていた。その微笑みの美しさに、私は目を奪われ、言葉を失った。胸の奥が訳もなく熱くなる。
「疲れたろう?帰ろう。」
かけられた言葉に、ただうなづく事しかできなかった。
「王宮は大混乱だった。」
馬車が走り出すやいなや、促す間もなくアンドレが言った。彼の報告は、余りに衝撃的なものだった。
ネッケル氏が御前会議に姿を現すことはついに無く、国民議会を解散し、元の身分ごとの討議を行うようにという国王陛下の命令に、第三身分の議員が反発、国民議会に賛同する第一、第ニ身分の一部議員と共に、議場を占拠したというニュースはすぐに町中に広まった。人々は、国王がネッケルを更迭し、第三身分の要求を黙殺仕様としていると理解した。人々は隊列を組んで、宮殿に押しかけたのだという。私がみた光景は正にこの人々であったのだった。
「ムニュ・プレジール館に近衛兵を派遣した為に、宮殿の守備が手薄になっていた。宮殿に押しかけた人々は、中庭にはいりこみ、ついには、国王ご一家のアパルトマンのすぐ近くにまで迫ったんだ。国王陛下がネッケル氏を更迭したというのは人々の誤解で、実際はネッケル氏が辞職を願い出ていたそうだ。ムニュ・プレジール館から近衛兵達が戻って来なかったら、どうなっていたかわからない。とにかく近衛兵達が戻り、少し秩序が戻ったのだけれど、とにかく宮殿に溢れる人々に国王陛下の取り巻き達も、圧倒されていたんだ。」
「なんという事だ・・・・。」
国王陛下と国民を結ぶ糸は、今や引きちぎられる寸前だという事なのか・・・。
「王妃様がネッケル氏に使いをだして、宮殿に彼を呼びだし、辞職を思いとどまらせたそうだ。ネッケル氏が両陛下との謁見を終えて出て来た時、宮殿の庭に詰めかけていた人々が、まるで凱旋した英雄のように歓声をあげて迎えていたよ。」
「王妃様はネッケル氏を快く思っていなかったはずだ・・・。」
「ああ、だが、妥協するしかなかったんだろう。正直俺も信じられなかった・・・。だがな、これが現実なんだと思う。俺はこの目で見たんだ。数えきれない人々が通りを埋め、宮殿から自邸までの道をネッケル氏は人々の熱狂と歓呼に包まれて戻ったんだよ・・・。」
「王妃様は、賢明なご判断をなさったということか・・・。」
事態は自分が予想しているよりも、もっと早いスピードで変化しているのかもしれない。人々は日々新しい自分達の力を見つけつつある。
「アラン達について、何か聞いているか・・・・?」
「お前の指示通り、すぐ衛兵隊舎に戻って、ダグー大佐にムニュ・プレジール館の警護に人を出してもらった。
アラン達は、指令本部から直接アベイ牢獄に連行されたそうだ。」
冷たい石の獄舎で不安に身を固くしている彼らの姿が目に浮かぶ。
「そうか・・・。誰か人を介して、彼らに差しいれをしてやらねば・・・。」
「明日朝一番で手配しよう。」
「ああ・・、頼む・・・。」
互いに馬車の中で腕を組んだまま、黙りこむ。西の空に太陽が傾いていく。長い夏の一日はまだ暮れずにいた。
《続く》
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