馬を疾駆させながら考える。近衛の指揮官は誰だ?誰であれ、父の傘下の者に違いはない。間に合いさえすれば、私の存在そのものを盾にできる。姑息な手段とさげすまれようと、時間を稼げれば無益な突入を回避するチャンスがつかめる。フランスが、今改革を必要としているのは紛れもない事実。人々はまだぎりぎりのところで、国王陛下を信じている。国王陛下がその信頼を裏切る事があってはならない。人々の心が王家から離れてしまう事を、私は望んではいない。しかし同時に、フランスに生まれた人々が、この世界に絶望し、生きることを呪うような社会であって欲しくないのだ。その為に、今私が成すべき事があると言うなら・・・!
それは異様な光景だった。ムニュ・プレジール館の方角から、人々の流れが王宮に向かっていた。金色に塗られた門の前に、沢山の人々が集まっていた。非日常的な人々の行動が、私の心を逸らせた。王宮へ向かって進む人の流れに逆らうように、今を走らせ続けた。
ムニュ・プレジール館の周囲を見なれた制服を着た近衛隊士達が囲んでいる。衛兵隊の隊士たちは、第三身分の議員達に同調すると、退けられたのだろうか・・・。
「けがをしたくなければ、道を開けよ!」
あらん限りの声を張り上げ、近衛隊士達が護る正門を走り抜けた。中庭は、近衛兵達に占拠されていた。整列する近衛隊士たちの前方に、騎馬の将校達の姿が見えた。まだ、近衛兵達は議場に突入していない。間に合った!慌てて飛び退く者達の脇を駆け抜け、将校達の前に躍り出た。
「引け!引けーい!これから先は一歩も通さん!」
まだ、足を踏みならす馬を御し、ひときわ美々しい軍服を着た将官の前に正対した。
これは、運命の女神の悪戯か、それとも、気まぐれな女神の恵みなのか・・・?突然割って入った私を、金緑色の瞳が驚いたように見つめていた。指揮官は、ジェローデルだった。王家の守護者として誰よりも相応しい怜悧で優雅なその男は、王命を受け今まさに、その力を振るおうとしていた。
かつて自身の副官であり、私を女性として愛すると言った男の心臓に、手にした白刃を真っ直ぐに向けた。
騎馬の将校も、隊列を組む隊士達も、良く見知った者ばかりだった。わずか2年足らず前、彼らこそが私の部下だった。私が護るべきは、王家であり、私が生まれ育った貴族社会だった。優雅で美しい豊かな生活を、一体誰が支えて来たのか・・・。私は知ってしまった。フランスの大地に同じ人間として生まれながら、困窮と絶望の日々をおくる者達がいることを・・・、私自身が彼らの血と涙で生かされていたことを・・・!!
空からこぼれ落ちた一筋の光が、アンドレの剣に宿った。初めて剣をこの手に握った時に感じた熱い思いが、胸を満たしていく。きっと、アンドレは私の選択を見ていてくれる。私が護りたいもの・・・それは・・・!覚悟は決まった。
ジェローデル、私の剣を受ける勇気があるか!?近衛隊の諸君、私の胸を砲弾で貫く勇気があるか!?
さあ、撃て!!武器も持たぬ平民議員に手を出すと言うのなら私の屍を越えて行け!!私の血で紅に染まって行け!!撃て!!」
この身を盾にすることで、議員達を護れるのであれば、撃たれようと蹴散らされようと、悔いはない。だが、これは無謀な賭けではないはずだ。数百人の赤い血を流す事より、私1人の「青い血」を流す事を彼らは躊躇うだろう。同属殺しの罪を、誰がすすんで犯したいだろう。胸の中に冷たい風が吹きすさぶ。私の血は赤い。私は知っている、この身体を巡り、流れ出る血は赤い・・・。
「マドモアゼル・・・!」
静かな声が呼び掛ける。
舞踏会の、あの夜のように、金緑色の瞳が、私に問いかける。
なぜ、悲劇のただ中へ、まっしぐらに向かっていくのかと・・・。
ジェローデル、お前にはわかるまい。私は誰でもない自身を生きたいのだ。その為に、護りたいものがある。
金緑色の瞳が静かに伏せられた。
「マドモワゼル・・・、剣をお納めください。元近衛連隊長であられた貴女をどうして撃つ事ができるでしょうか。貴女の前でどうして武器も持たぬ者に、武力を加える卑怯者になれるでしょうか。彼らが武器を取る日まで・・・その日まで待ちましょう。」
それは、どこまでも己の青い血を信じ、全てにおいて誇り高き騎士である事を体現しようとする者の言葉だった。彼の姿は、かつての私であるのかもしれない。「戦う者」であるがゆえに、「耕す者」を支配することを正当とする傲慢に気付かない。多くの人々の、人としての最低の誇りを無視する事によって支えられている、「貴族」という存在の危うさにも・・・。
「退却!!」
静まりかえった中庭に、決然とした号令が響いた。馬上で優雅に礼をとり、ジェローデルは去っていった。
私達の道は分かたれ、この先決して交わる事は無いだろう。10年にも渡る長い間、部下として私を支えてくれた彼の誠実を、私は忘れない。そして、今、ジェローデルがその誇りゆえに、私を生かしてくれた事を感謝しよう。だからこそ、自身が選んだ道を、私は貫かねばならない。何があっても。
《続く》
PR