ベルサイユのばら 原作の隙間埋め妄想
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「私が兵士達に直接命令を与える。沙汰があるまで、この部屋から一歩も出すな!」
ブイエ将軍は、私の拘束を従卒達に指示すると、自ら兵士達に命令を下す為に、ムニュ・プレジール館へむかった。
この時、私は大変な過ちを犯してしまった事に気がついた。この場は将軍の命令に従い、私はムニュ・プレジール館に向かうべきだったのだ。その上で、兵士たちを動かさないという手段を取れば良かった。冷静に考えれば、私が兵を指揮する事を拒否したところで、将校など他にいくらでもいる。私の短慮が、ブイエ将軍という最悪の指揮官を彼らのところに派遣してしまったのだ。
「武官は感情で行動するものじゃない。」アランにかけられたアンドレの言葉が胸に突き刺さる。
誰に命じられようと、同胞に銃を向ける事など彼らにできようはずがない。そうなれば、彼らは先ほどの私のように、命令を拒絶することとなるだろう。そして、一層弱い立場の彼らは、窮地に追い込まれてしまう。私が感情に流されたばかりに、彼らに対する責任を果たせなくなっただけでなく、彼らに逃げ場のない選択を迫る事になってしまったのだ。
「ジャルジェ准将・・・なぜ・・・」
従卒のつぶやきはそのまま、私が自身に向けた問いになる。
軍隊において、上官命令への不服従は許されない。命を盾に戦う組織の絶対の規律。この身は女であるものの、名誉ある帯剣貴族に生まれ、「戦う者」として厳しい教育を受け、誰よりも「軍人」として生きることを欲して来た。その自分が、なぜ・・・?
軍人は感情を持ちえないのか・・・?命令であれば、無辜の人を殺めてもよいのか・・・?武力とは、街を破壊し、人を殺す事ができる力の事だ。この力を、ただ命令に従い、行使することが、本当に正しいことなのか・・・?!
私は、軍人失格なのかもしれない。軍の組織に、身を置きながら、准将という高位の将官でありながら、自分の感情に背く命令に従う事ができなかった・・・。軍人とは、人間であってはならないのか・・・?
私は、どのような処分を受けるだろう。私が受ける処分は、どんなものであろうと私の行動の結果であり、引き受ける覚悟はできている。しかし、兵士達はどうなるのだろう。ブイエ将軍が与える命令に、従っても、従わなくても、彼らの心は深く傷つけられることになるに違いない。私は、何と愚かなのだ。感情に溺れ、成すべき事を見失ってしまった。剣を取り上げられ、司令官室にただ座して待つ時間は、永遠に続くようにさえ思えた。
突然、窓の外が騒がしくなった。胸騒ぎに矢も楯もたまらず、窓に駆け寄った。後ろ手に縛られ、俘虜の様に繋がれた第一班の兵士たちがそこにいた。彼らはブイエ将軍の命令に従わなかったのだ!私の過ちの結果を、彼らが引き受けている。窓に貼り付く私を従卒たちがひきはがそうと手を伸ばしたが、夢中で払いのけて窓を開けた。
窓から身を乗り出して声を限りに、彼らの名を呼んだ。うなだれ歩いていた一班の兵士達が立ち止まり、私の姿を探す。私は、彼らの名を叫ぶ。私の姿を見つけた彼らが、私の声に応えて私を呼んだ。
「どこへ連れて行く気だ!?わ・・・私の部下を・・・私の部下だ!!」
ああ!私はなんと思い上がっていたのだろう。彼らが私を導いてくれたのに。何も知らぬ飾り人形に過ぎなかったこの私に、祖国の真実の姿を教えてくれた。困難にあってもしたたかに熱く生きる彼らだから、私は飾る事なく自分をぶつけていくことができたのだ。この手で、この身体で、直接訓練した。祖国を護る為に、私のありったけをぶつけて・・・!!喜びも、苦しみも、悲しみも全てを・・・、全てを共にしてきた、私の兵士達・・・。彼らは、私の、部下だ・・・!!
その彼らを窮地に追い込んだのは・・・・、他ならぬこの私なのだ!
フランソワが、ジャンが、泣きながら私を呼んでいる。彼らは命をかけて、議員達に銃を向けることを拒んだのだ。アランが、歯を食いしばり、まっすぐに私を見つめていた。その瞳が私に問いかける。お前は、何を選ぶのかと。
「待っていろ、助け出してやる!必ず、必ずすぐに助け出してやるぞ!」
曳き立てられていく12人の後ろ姿に、私は誓った。私は、この命にかえても、彼らを救わねばならない。
「ジャルジェ准将、窓から離れ椅子におかけ下さい。間もなく、ブイエ将軍がお戻りになられるでしょう。」
従卒の1人が、困惑の表情を浮かべながら、私に着席を求めた。私は、大人しくその言葉に従うしかなかった。彼らには分るまい。今私がどんなにみじめな気持ちでいるかなど・・・。
突然扉が開き、ブイエ将軍が戻って来た。
「隊長が隊長なら、部下も部下だ。全く!良く仕込んであるものだわい。」
眉間には深い皺を刻み、将軍は蔑むような眼差しを私に向けた。
「どこへやったのです。私の部下を!?どこへつれて行かれたのか!?」
アラン達を軍法会議にかけるつもりなのは明白だとしても、それまでどこに拘留するつもりなのか・・?彼らの置かれた状況をなんとしてでも知りたかった。くってかかった私を払い除け、ブイエ将軍が冷ややかな表情で言い放った言葉に、私は愕然とした。
「自分の首が危ない時に、部下の心配か。今後の見せしめの為、兵士12名全員を銃殺の刑に処す。」
銃殺!!
軍隊での不服従の罪は重い・・・。しかし、いきなり極刑とは・・・。
「国王陛下から処分を申し渡されるまで、君の軍務証書を取り上げる。さあ、早く証書を出したまえ。」
茫然とする私に、従卒が近づき軍務証書を渡すようにと促した。軍籍を証明し公権力の行使を裏付ける証書を渡してしまえば、私は准将として行使してきた権力を失う事になる。なんの力もない私が、捕えられた彼らを助ける事ができるのか・・・。それに、議員達はどうしただろう。第一班以外の者達が、ブイエ将軍の指揮に従い突入し、議員達を排除したのか・・・?
不安と焦りが、胸をじりじりと焼いて行く。ジャルジェ家の紋章を刻印した革ケースに入れて胸ポケットに納めていた軍務証書を、震える手で従卒に渡すと、従卒は執務机に着いた将軍にそれを渡した。
「平民議員達は・・・?」
「安心したまえ、ジャルジェ准将。今頃は変わりに近衛兵がベルサイユ宮から会議場へ出発しているはずだ。」
ブイエ将軍は老獪な将軍だ。アラン達の抵抗を受け、動揺する衛兵隊士達に平民議員達を排除させ、万が一にも兵士達が反乱を起こすような事態ともなれば、将軍自身の責任問題になることを恐れたに違いない。
ブイエ将軍がここに戻ってからどれほどになる?ムニュ・プレジール館に向かった近衛兵達に先んじる事ができるか・・・?一刻の猶予もなかった。司令官室に従卒が二人、衛兵が二人・・・。扉を突破出来さえすれば・・・!
隙を突き、扉を目指し猛然と走り出す。
「ど、どこへ行かれます、ジャルジェ准将!?」
慌てて立ち塞がる従卒を突き飛ばし、扉を目ざす。
「通せ!!君達に少しでも良心があるのなら!」
掴みかかる腕を振り払い、扉に辿りついたと同時に、従卒達の腕が私の身体を抑え込みにかかる。
4人の男が必死の形相で私に迫る。
「アンドレ!そこにいるか?!アンドレ!開けてくれ!この扉を!聞こえるか!アンドレ!!」
かろうじて自由になる右腕で扉を力一杯叩いた。
ああ、お前なら聞こえるだろう!お願いだ、この扉をあけてくれ!私を卑怯者にしないでくれ!
私は行かねばならないんだ!
「オスカル!」
扉が開いたと同時に私は渾身の力で、抑えつけていたいくつもの腕を振り払い廊下へ走り出た。すかさずアンドレが扉を閉めた。持っていた銃を閂のように取手に差しこんだ。
「剣を借りるぞ!ついて来い!」
アンドレの剣を受け取り、走り出す。
「逃すな!逃すな!追えー!!謀反人だ、捉えろ!」
司令官室の扉の向こうで、ブイエ将軍の叫ぶ声が聞こえた。謀反人と呼ばれようとかまいはしない。私は行かねばならないのだ!
司令官室から長い廊下を走り抜け、階段を一気に駆け降りる。
「衛兵隊のジャルジェ准将だ。馬を借りる!」
建物の入口に繋がれていた馬を、奪うようにして飛び乗った。
「先に行く!必ず追って来い!」
僅かに遅れて騎乗したアンドレに声をかけ、一気に加速する。あれほど激しく降っていた雨は上がり、薄日が差し始めていた。
《続く》
王宮からまっすぐに延びる道を、国王陛下や王族、政府高官らを乗せた雅やかな馬車が近衛兵らに護衛されてやってくる。その隊列を立ち止まって迎える人々の顔は、冷たくこわばっていた。彼らはすでに宮廷が三部会を強引にねじ伏せようとしている事を感じ取っているのだろう。ムニュ・プレジール館の正門に国王陛下の馬車が到着しても、取り巻く人々は、沈黙するばかりだった。平民議員達を励まそうと、声を上げ、手を振っていた人々が、言葉を忘れたかの様に、ただじっと門に吸い込まれていく馬車の列を見つめていた。国王陛下も冷やかな民衆の眼差しを受け、こわばった表情のまま居並ぶ近衛兵らに護られながら議場へと向かわれた。
控えの間の一室で濡れてしまった髪を乾かしているところに、伝令がやって来た。いったい何用だというのだろう。訝しく思いつつ、アンドレを伴い指令本部へと向かった。馬車の中、私達は互いに気づまりな沈黙を守っていた。先ほどのアランの行動について、私から言及することはできなかった。アランが私に対して向けて来た激しい感情にも驚いたが、それよりも、もっと驚いたのは、あの時湧き上がって来た自身の心の声だった。アランを拒絶しながら、私はアンドレを求めていた。
「武官は感情で行動するものじゃない。」
血の気の多い私の暴走を止める為に、アンドレが口にしてきた父の諫めの言葉が、アランに向けられていた。アランが『軍人』である事をなによりも望む者である事を、アンドレが認めているということか。私からはアンドレの背中に遮られ、アランの姿を見る事ができなかった。アランは、一言も発することなく去っていった。二人の間で、声にならない会話がなされていた事を感じたが、私はそれを問うてはならないだろう・・・。そして、お前もまた、アランのあの行動について、一切触れる事は無いに違いない。
アンドレにドアの外で待機するように伝え、1人司令官室に入室すると、不機嫌そうな顔をした上官が執務机に向かい書類を捲っていた。従卒が私の到着を告げると、上官は顔を上げ、苦虫をつぶしたような顔で傍に来るようにと言った。
「ジャルジェ准将、君は平民議員の肩を持ち、ドル―・ブレゼ侯に大層失礼な態度を取ったそうだな。」
その一言で、すぐにこの呼び出しが儀典長からの苦情によるものだと察しがついた。鼻持ちならない儀典長のしたり顔が浮かび、心の中で舌打ちをしたが、抗弁する間も与えられず、くどくどしい説教が続いた。旧態依然とした権威主義に凝り固まった上官は、知らないのだ。第三身分の議員達が、どれほどの覚悟であの場に集っているかも、今、明らかに潮目が変わろうとしている事も・・・!
あわただしいノックの音がして、伝令がやって来た。その者は何か気まずげに私の顔を見たあと、ブイエ将軍になにやら耳打ちをし、一巻の書状を手渡した。将軍はおもむろに書状を広げ、ゆっくりと目を通した。そして、信じられないような命令が下された。
「兵士達をただちに会議場に浸入させ、居座っている平民議員どもを力づくで追っ払うように!国王陛下からの御命令だ。」
「えっ!?今・・・、何とおおせになられた・・・?」
私は、自分の耳を疑った。まさか・・・、まさか、そんな命令を陛下が下すなどという事が・・・?!
「ジャルジェ准将?聞こえなかったのかね?平民どもが勝手に国民議会などと名乗り、三部会を混乱させる事を、陛下はお許しにならない。陛下が議場からの退場を命じられたにも関わらず、あやつらは議場を占拠し、あまつさえ、退去させたくば軍を連れて来いとまでほざいたそうだ。君は、すぐにムニュ・プレジール館へ戻り、総力をもって、つけ上がった平民どもを排除したまえ!」
上官は、吐き捨てるように言うと、新たな書類を手に取り平然と目を通し始めた。
篠突く雨に打たれながら、じっと待ち続ける議員達の姿が脳裏に浮かぶ。何度踏みにじられようと、この国の未来を信じ、熱い血をその身の内に滾らせながら、静かに耐える人々の群れが、私に決断を迫る。いつかこの時が来ることは分かっていた。上官の命令に背く事が、軍組織の中で何を意味するか、承知の上だ。父祖から受け継いだ名誉も、自ら築きあげて来た地位も、全てを失うかもしれない。しかし・・・、しかし、自分を偽る事などできはしない・・・!!
沈黙する私を訝しみ、上官は顔を上げ私の名を呼んだ。
「で・・・、できま・・せ・・・ん・・・」
覚悟の上であっても、声がふるえる・・・。この一言を発することで、もう私は前に進むしかない。自分が信じる一筋の道だけを!
「できません!!」
上官は私の拒絶にはじかれたように立ち上がり、椅子が派手な音を立てて転がった。一瞬で司令官室は凍るような緊張に包まれた。心臓が締めげられるように痛む。ブイエ将軍の表情が驚きから見る間に怒りへと変わって行く。だが、私はもう引く事などできなかった。
部下の命を盾に護るべきものが、正義であると信じる事ができなければ、武力は無秩序な破壊と殺戮の手段に過ぎなくなる。生きる事を、未来への希望を必死で求める人々に、銃を向ける事が、正義であるはずがない。
「軍隊とは・・・国民を守る為のものであって・・・、こ・・・国民に銃を向ける為のものではございません・・・」
力弱き人々でさえ、この国の困難に全力を尽くそうとしている。未来を信じて、踏まれても、踏まれても、なお、力強く!軍隊が意義を持てるのは、ただ一つの理由だけだ。このフランスに生まれ、大地耕し生きる人々を守る為だけだ。その確信が、私の心臓を熱く滾らせる。
私は顔を上げ胸を張り、ブイエ将軍をひたと見据えた。
「軍隊とは国民を・・・」
「謀反人だ、逮捕しろ!」
私の言葉は、ブイエ将軍の怒号によって、一瞬にして封じられてしまった。
《続く》
ベルジェール通りに面したムニュ・プレジール館の塀に、御前会議の開催告知が貼り出されていた。そこには、議員及び許可を受けた者以外の傍聴・立ち入りを禁じる旨の一文が書き添えられていた。
ムニュ・プレジール館の東西に長い敷地は、塀と建物に囲まれている。ベルジェール通りに面する正門から入る中庭と会議場が建つ奥庭は、建物一階分ほどの高低差があり、敷地を南北に分かつように建てられた建物が、会議場への直接の進入を不可能にさせている。正門側から会議場に入るには、この建物の真ん中にトンネルのようにつくられた階段を通るか、中庭を囲むように建つ建物の中を通らねばならなかった。正門、会議場の裏手にある通用門、敷地を囲む通りに兵を配置し、さらに中庭の要所に兵をおいた。人が二人ならんで通れるほどの狭い階段通路は、上下両サイドを固めておけば、例え正門から不審な侵入者があったとしても、拘束することは極めて簡単であると思われた。正午前に、国王陛下と王族・政府高官らが到着する事となっている。彼らを迎える為に、王宮からの道沿いと正門に特に多くの兵を配置するように命令が下されていた。
正門の封鎖を解き、隊員達を中庭に整列させた。陰鬱な雨は止む気配もなく、隊士達の上に降り注いでいる。今日の衛兵隊の持ち場は、ムニュ・プレジール館の外周であり、議場内部の警護は、国王付きの近衛隊が当たることになっていた。封鎖が解かれた事を知れば、この会議の行方を注視している人々が、傍聴を求めてやってくるだろう。しかし、国王臨席のこの会議に、傍聴者を入れない事は、決定事項なのだ。これからの国の行く末が決められるだろう場所から人々を排除し、一体どんな議論をしようと言うのだろうか・・・。釈然としない思いが、胸の中に、わだかまる。
兵の配置を完了したところで、議場内警護に当たる近衛兵達が到着した。衛兵隊士達よりも優れた体格の一団が、一糸乱れぬ隊列を組み、議場へと続く階段を上って行く。かつて自らもあの一団の中に身を置いていたのだ。しかし、今その麗々しさがどこか空々しく感じるのはなぜだろう。私は雨に濡れながら彼らを見送った。
開催の刻限が近づいている。開け放たれた門の前には馬車が並び、議員達が次々に到着していた。傍聴ができるものと思い門をくぐろうとした者達が、衛兵隊士達に制止されていた。門の周囲には、何重もの人垣ができ、到着する平民議員たちに拍手を送ったり励ましの声をかけたりしていた。彼らは傍聴ができぬのならば、せめて中庭に入り、己達の代表を鼓舞したいと望んだ。気持ちは理解できたが、彼らを中庭に入れることは禁止されているのだ。隊士達は複雑な表情を浮かべながら、門の前に集まった人々を制止し続けるしかなかった。
雨が降りしきるなか、門の前の人垣は増すばかりだ。次々に到着する僧侶・貴族議員らは、雨に濡れる間もなく屋内へと消えていく。彼らには控えの間が与えられているからだ。そうした場を持たぬ平民議員たちは、議場への入場を、雨に打たれながら中庭で待つしかなかった。開会の刻限が迫っていると言うのに、遅々として進まぬ平民議員の入場に、門の外で彼らを見守る人々の中からも、不審といらだちの声が上がり始めた。いくら議場への通路が狭いと言っても、時間がかかり過ぎている。なにか入場を阻む事態が起きているとしか思えなかった。
様子を見に行かせたアンドレの報告は、驚くべきものだった。
「儀典長のドルーブレゼ候が、議場入口で一人一人点呼をとりながら入場させている。やっと貴族議員の半分までが入場したところだ。貴族議員が終わるまで、平民議員は入場できない。」
平民議員たちはすでに30分以上も屋根もない中庭で待たされていた。近くでアンドレの報告を耳にした隊員たちにも動揺が走る。
「馬鹿なことを!」
思わず口をついた言葉に、アンドレの隻眼が制する様に眇められた。
「入口の警備は、第一班だ。今は我慢がきいているが、行った方がいい。」
促されるまでもなく、私は足早に議場入口へと向かった。階段通路を駆け登り、議場入口にたどり着く。正面入前の狭い広場に雨に打たれながら、じっと入場を待つ黒いマントの一団があった。
「正面玄関から入れるのは、僧侶議員と貴族議員だけだ。平民どもは裏口に回ってももらう。ちょうどいい、君の部下に彼らを裏口に誘導させてくれたまえ。私は陛下をお迎えする準備があるのだから、さっさと点呼を済ませてしまいたいのだよ。君も、早く陛下の御到着の準備をしたまえ。」
羽飾りのついた帽子の下で、白粉を塗った頬が酷薄な笑みに歪むのを見たとたん、私はドル―ブレゼ侯の前に立ちはだかっていた。
「君には見えないのか!?議員達があんなにびしょ濡れになっているじゃないか!!彼らはれっきとしたフランス国民の代表なんだぞ!!」
私の抗議など耳に入らぬとばかりに、儀典長は立ちはだかる私の脇をすり抜ける。
「私は、命令された通りやっているだけだ。君が警備を命じられたように、私は議員達を招集し、命令の通りに入場させている。文句がありますか?」
まだ二十歳にもならぬ年で父親からその地位を引き継いだ若者は、くっきりと紅を引いた唇に、薄笑いを浮かべて、振り向きざまに言い放った。
何という醜悪さ!この者には、雨の中じっと入場の順番を待ち続けた同胞への思いやりや、敬意のひと欠片もないのか!?嘔気にも似た怒りが鳩尾を突きあげる。
「君はそれで平気なのか!?なんとも思わないのか!?ああやって土砂降りの中に国民の代表を立たせ続けて平気なのか!?」
思わずマントの胸倉を掴み上げていた。薄笑いが恐怖にとって替わった瞬間、凛とした声が私を制した。
「離したまえ、ジャルジェ君。」
振り返ったそこには、雨に濡れそぼったマントに身を包みながら、毅然として立つ男の姿があった。
マクシミリアン・ド・ロベスピエール!アラス選出の平民議員だった。
「さあ、早く裏口に案内してくれたまえ。ぼくらは濡れることなどなんとも思わない。雨など少しも冷たくない。僕らの熱は雨にも嵐にも勝って熱い。国民に選ばれてここにいるのだという誇りはどのような侮辱にも、どのような仕打ちにも揺るぎはしない。」
染み透る雨に、彼の身体は冷え切っているはずだった。頬に雨の滴がしたたり落ちて唇は蒼ざめていた。しかし彼の唇は、微笑みをたたえ、形良い眉の下の、誠実さをそのまま表したような暖かな茶色の瞳が、私をまっすぐに見つめた。
「いや、あなた方はフランス国民が選んだ正当な代表なのです。裏口などに案内できるはずがない!」
私は、掴み上げていた胸倉を解放し、儀典長に向き合った。
「ドル―・ブレゼ侯、いかに命令と言っても、もう開会の刻限も迫っている。議員達を早急に会議場に案内するべきだ。」
食い下がる私を、またもロベスピエールが制した。
「貴方が儀典長と争う必要はありません。私達は、私達がここにいる価値を知っています。ああ、君に分かるだろうか、僕らがどれほど燃えているか・・・、僕の心臓がどれほど一つになり、激しく赤く燃え上がっているか・・・!!わかってもらえるだろうか・・・!?」
胸に静かに手を当て、彼は祈るように目を伏せた。そして彼は再び私を見つめた。その瞳の輝きの強さに思わず立ちすくんだ。水のように穏やかな声音でありながら、彼の言葉が、その情熱が、熱風のように私を包んでいく。
「ジャルジェ准将、そこの議員も裏口でよいと言っているではないか。早く部下どもに彼らを裏口へ案内させたまえ。君も、早く正門に戻ったほうがよいのでは?陛下が到着された時、君がお迎えしなくてどうする?」
乱れた襟を直しながら、儀典長は吐き捨てるように言うと、踵を返し玄関の扉の向こうに消えていった。議員達は事の行方を、かたずを呑んで見守っていた。地面を叩く雨の音がだけが、狭い広場に聞こえるばかりだった。
「さあ、衛兵隊のみなさん、我々を案内して下さい。みなさん、急ぎましょう。」
ロベスピエールは穏やかに促した、正にその時だった。
「ぶったぎってやる!」
獅子の咆哮にも似た男の叫び声が、響き渡った。
(続く)
HÔTEL DES MENUS-PLAISIRS ⇒ ★
現在は会議場につかわれた建物は残っていません。残っている建物はバロック音楽センターになっているそうです。
ドル―・ブレゼ侯⇒★
何と1762年生まれなんですよ~。O様より若い。ちょうどアランくらいですね。
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